しばらくブログさぼってました。春になって陽気がよく、ふらふら外出しています。
週の半ばに、また山に登ってきました。今回は前回よりも、楽な斜面でした。
山桜がきれいだったので、記念にぱちり。日当たり良いところは、半分葉桜でした。

山に行ってきた翌日、いつものお悔やみお知らせの紙が、郵便受けに入っていた。
またどこかのおじいさんかおばあさんかな、と名前を見た。
町内の、うちの班と同じ所の人。おじいさんではなかった。まだ60代のお父さんだった。
同じ町内、同じ班とはいえ、ここ田舎はドアtoドアの生活(どこ行くにも自家用車運転)なので、近所の人とはほとんど顔を合わせない。
なので、その亡くなったお宅のお父さんとは、3年くらい前に会ったっきり。
元気そうだったけど。具合悪かったなんて聞いてなかったけど。
一軒家に住むようになって、近所の不幸には何度も顔だけ出しに行っていた。
一番初めは、向かいの通りのおじいさん。新居に越してきたばかりなのに、お気の毒だった。
その次は、裏の通りのおばあちゃん。それから数年あいて、ピアノ先生仲間のお宅のおじいちゃん。
おととしかな、同じ班のおばあちゃんが亡くなった。
癌で闘病して、亡くなる半月前に町内の用事でおじゃましたあったけど、体がつらそうだった。
この10年で何人もおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったけど、お父さん、おじちゃん、と呼べる人は、初めてだった。
同じ班のおじさんがまだ若いのに亡くなって、かなり動揺した。
こんなに若くて突然亡くなるなんて、癌だろうなと思ったら、やはり癌だったようだ。
秋に体調悪くて病院に行ったら、もう手遅れだったと、奥さんは言っていた。
同じ班の人と相談したけど、つき合いのない人はお悔やみには行かないと言っていた。
私は、亡くなったおじちゃんとはつき合いなんてなかったけど、おばちゃんとはゴミ捨ての時によく立ち話をしていたので、行かなきゃいけないだろう、とひとりで行ってきた。
雨が降っていたので、黒い慶事用の傘をさして行った。折りたたみ傘だったけど晴雨兼用で、ふちにレースの飾りがついている。近所のおばちゃんに勧められて一緒に買っておいた。
それから、せめて黒いTシャツを着た。下に黒いスラックスをはいて、肌寒かったので上に黒いカーディガンを羽織った。
お悔やみの言葉を型通りに言い、記帳してくださいと言われて、住所と名前を書いた。
動揺して、郵便番号が思い出せなかった。3ケタと次の2ケタまで書いて、次の人と変わった。
葬儀が終わると遺影を乗せた車が自宅前を通るので、亡くなった方の自宅に、お昼の時間にもう一度出向いた。
働いていて留守の家が多いので、見送りに来たのは10人くらいしかいなかった。
聞いていた時間を30分近く過ぎても、車は来なかった。
「おじちゃんはドライブが好きだったから。今ごろ、ドライブしているんじゃないか。」と、お隣のおじいちゃんが言っていた。
そんな話をしているうちに、車が来た。
おばちゃんも存命だが、息子さんが成人していたので、喪主は息子さんだった。
息子さんがお父さんの遺影を手に車から降りて、見送りに来た近所の人に簡単にあいさつをした。
遺影はまた車に乗り、クラクションが鳴ったので、見送った。
目を伏せて、数珠を手に合わせることしかできなかった。
近所で働けないで家にいるのは私くらいしかいないのだけど、家にいるからこうやって、おじちゃんのお見送りができた。
近所の他のお母さんは、みなさん仕事に出ていて、留守だ。
町内にひとりくらい、働けないで家にいる人がいるのも、悪くないのかな、と思った。
自分がここに住んで生きている間、また何人かお見送りすることもあるだろう。
外で働いている他のお母さんの分まで、私が代わって故人のお見送りしようと思うようになった。
今年の春は、おじちゃんやおじちゃんの家族はどこかで、桜の花を見られただろうか。
週の半ばに、また山に登ってきました。今回は前回よりも、楽な斜面でした。
山桜がきれいだったので、記念にぱちり。日当たり良いところは、半分葉桜でした。

山に行ってきた翌日、いつものお悔やみお知らせの紙が、郵便受けに入っていた。
またどこかのおじいさんかおばあさんかな、と名前を見た。
町内の、うちの班と同じ所の人。おじいさんではなかった。まだ60代のお父さんだった。
同じ町内、同じ班とはいえ、ここ田舎はドアtoドアの生活(どこ行くにも自家用車運転)なので、近所の人とはほとんど顔を合わせない。
なので、その亡くなったお宅のお父さんとは、3年くらい前に会ったっきり。
元気そうだったけど。具合悪かったなんて聞いてなかったけど。
一軒家に住むようになって、近所の不幸には何度も顔だけ出しに行っていた。
一番初めは、向かいの通りのおじいさん。新居に越してきたばかりなのに、お気の毒だった。
その次は、裏の通りのおばあちゃん。それから数年あいて、ピアノ先生仲間のお宅のおじいちゃん。
おととしかな、同じ班のおばあちゃんが亡くなった。
癌で闘病して、亡くなる半月前に町内の用事でおじゃましたあったけど、体がつらそうだった。
この10年で何人もおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったけど、お父さん、おじちゃん、と呼べる人は、初めてだった。
同じ班のおじさんがまだ若いのに亡くなって、かなり動揺した。
こんなに若くて突然亡くなるなんて、癌だろうなと思ったら、やはり癌だったようだ。
秋に体調悪くて病院に行ったら、もう手遅れだったと、奥さんは言っていた。
同じ班の人と相談したけど、つき合いのない人はお悔やみには行かないと言っていた。
私は、亡くなったおじちゃんとはつき合いなんてなかったけど、おばちゃんとはゴミ捨ての時によく立ち話をしていたので、行かなきゃいけないだろう、とひとりで行ってきた。
雨が降っていたので、黒い慶事用の傘をさして行った。折りたたみ傘だったけど晴雨兼用で、ふちにレースの飾りがついている。近所のおばちゃんに勧められて一緒に買っておいた。
それから、せめて黒いTシャツを着た。下に黒いスラックスをはいて、肌寒かったので上に黒いカーディガンを羽織った。
お悔やみの言葉を型通りに言い、記帳してくださいと言われて、住所と名前を書いた。
動揺して、郵便番号が思い出せなかった。3ケタと次の2ケタまで書いて、次の人と変わった。
葬儀が終わると遺影を乗せた車が自宅前を通るので、亡くなった方の自宅に、お昼の時間にもう一度出向いた。
働いていて留守の家が多いので、見送りに来たのは10人くらいしかいなかった。
聞いていた時間を30分近く過ぎても、車は来なかった。
「おじちゃんはドライブが好きだったから。今ごろ、ドライブしているんじゃないか。」と、お隣のおじいちゃんが言っていた。
そんな話をしているうちに、車が来た。
おばちゃんも存命だが、息子さんが成人していたので、喪主は息子さんだった。
息子さんがお父さんの遺影を手に車から降りて、見送りに来た近所の人に簡単にあいさつをした。
遺影はまた車に乗り、クラクションが鳴ったので、見送った。
目を伏せて、数珠を手に合わせることしかできなかった。
近所で働けないで家にいるのは私くらいしかいないのだけど、家にいるからこうやって、おじちゃんのお見送りができた。
近所の他のお母さんは、みなさん仕事に出ていて、留守だ。
町内にひとりくらい、働けないで家にいる人がいるのも、悪くないのかな、と思った。
自分がここに住んで生きている間、また何人かお見送りすることもあるだろう。
外で働いている他のお母さんの分まで、私が代わって故人のお見送りしようと思うようになった。
今年の春は、おじちゃんやおじちゃんの家族はどこかで、桜の花を見られただろうか。
